連載小説「鬼椿の記者聴取」――黒い球跡⑨
相川は下唇を舌の先で湿らすと、直球を投げ込むように応えた。
「神楽坂の『お京』というスナックのママです」
「意外なネタ元だね」
相川は説明するのだった。「村瀬が喧嘩をして利き手の親指に大けがをしたあげく、江戸川中央病院の整形外科で極秘に治療をしている――ママはそう店の客から聞いたと耳打ちしてくれたんです。病院に行って担当の南医師に当たると、ノーコメントを繰り返したんですけど、否定しなかったので事実だと確信しました。このあと何人かの看護師に当たって、村瀬が父親と野球部の部長に連れられて江戸川中央病院に入ったことを確認したんです。金属バットみたいな鈍器で殴られた打撲痕だったので、事故ではなく喧嘩したのは本当だろうと南医師が話していた、との証言も看護師から得ました」
「看護師はよくゲロしたな」
「一人の看護師ががぺらぺらしゃべったのではありません。四人の看護師の断片情報を集めた結果です。僕が社会部記者ではなくてスポーツ部の記者だと知って、彼女たちは安心したようでした」
「それは相川くんの人徳というか、取材力だよ」椿原は褒めてから欠点をついた。「当の村瀬からは取材してないんだね」
「していません。自分なりに考えて、そう決めました」
社会部では通らないことだが、椿原は聞き流した。
相川は背筋をのばした。こうして眺めると体育会系そのもののようだ。
「村瀬を取材しなかったのは、建前と本音の二通りの理由からです」
椿原は「ほおぅ」と驚いてみせ、どういうことなのか言ってみろと目顔で催促する。
「自分も野球をやっていたので、村瀬のフェアプレー精神を期待した、つまり自己申告して欲しいというのが建前です」
「なら本音は」
「ドラフト前に取材すると、村瀬サイドから進路妨害で訴えられるのではないかと懼れました」
「なるほど」と椿原は応じた。進路妨害などという罪名はないが、プライバシー侵害罪は考えられる。しかし村瀬が親指に複雑骨折した事実があれば、報道の自由のほうが勝るだろう。
「記事が出たあとで、喧嘩をして骨折したというのは誤報で、襲撃されたのが真相だと、村瀬は言い出さなかった」椿原は首を斜めに傾げて続けた。「村瀬が沈黙したのは、相川くんが言うところの建前の重みを彼が知っているからだろうか」
相川は首を振った。「そんなレベルではないと思います。指名から外されただけでなく、野球ができなくなるかもしれないので、村瀬はショックの底なし沼にいるはずです」
「そういう意味では、相川くんが書いた記事どころではないんだ」
「ドラフトが終わってから村瀬は行方をくらましています」
「行方不明?」
「家族や監督は知っているはずなので失踪事件とはちがいます」
「そういうことか」
「いったい誰が、村瀬は襲撃されて骨折したと言ってるんですか」
「警察だよ」
椿原は押しつけるように言った。
(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は2月6日にアップ予定です)
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