記者小説「私たちの事件」―惨殺の刻印④
「私たちの事件」―惨殺の刻印④
妻の律子が刺殺された事件と京本事件には、類似の特徴がある。
まず台所にあった包丁が使われ、しかも腹部を二カ所刺されたうえ、胸部をひと突きにされている。律子も包丁が心臓まで達して、胸に突き刺さったままだった。さらに争った痕跡がなく、玄関の鍵は開いていた。
これくらいの類似なら、よくある殺人事件だと一笑に付されるかもしれない。しかし私は京本事件の一報に接したとき、いやがうえにも京本院長に亡き妻を重ねた。
律子は九月十五日の敬老の日に、京本院長は体育の日に殺害されているので、祝日の白昼に起きた事件という点も共通項になろう。ただし二つの事件の間には三年という歳月が挟まれている。
私が律子を思い出していると察したのか、船津りすは話を中断して、新庄の斜め後ろにいる男に視線を向けた。
彼女の視線をさりげなく追うと、いかつい男が私に背を向けてさきほどからノートパソコンのキーボードをたたいていた。一課の刑事に好かれそうな若手だが、原稿処理の要領は悪そうだ。
私は腕時計を見た。午後二時四十五分だった。ここにいるのは私を含めて四人だが、朝と夕はキャップを入れて十人は顔をそろえる。夕刊づくりの終わったこの時間帯がいちばん人数は少ない。いわば休息タイムといったところだろう。
ボックスを空けている部員は、近くにコーヒーを飲みに行くか、本屋で立ち読みをするか、あるいは記者会見場のソファを利用してうたた寝を決めこむか、おおむねこの三パターンにわけられる。
そうであっても心理的な重圧を背負った状態なので、束の間の気分転換をはかっているにすぎない。だから休息タイムといっても、逼迫した事件を抱えていないときや、抜かれていない場合にかぎられた。
私がこのボックスにいたときは、休んでいても急かされて走っているような有様だった。心臓はたえず早鐘を鳴らしていた。頭の中は常に散らかっていた。私はこのボックスと同じ状態だった。
船津りすは同僚の男から目を逸らすと、ボールペンの頭で胸の谷間あたりをつんつんとつついた。コットンシャツの下でわずかに乳房が揺れた。私は目線が彼女の顔に向かうようにゆっくりと顎をあげ、視線がぶつかるのを待って聞いた。
「それで、かんじんの京本事件の捜査はどうなっているんだい」
船津りすはこくりとうなずいてから、前髪を左手ではらった。黒い革ベルトの四角い腕時計がちらりと覗いた。男物かもしれない。腰のベルトも黒色で、わずかにヒールのついた靴も黒色だった。靴はよく磨かれている。
「一課長は、白紙に戻ってやり直しだと、早くもぼやき始めています」
「現場の状況からして怨恨の線が強いと思うけど、ポイントが絞れないんだろうな」
「事件に結びつく火種が出てこないので、患者と家族のリストのほかに取引先の薬品会社、さらには所属していた小児科学会といったように、京本院長が関係したところはすべて聴取の対象にして、聞き込みのローラ作戦をやるそうです」
事件の発生直後に有力情報が得られない場合、聞き込み捜査を徹底するしかない。
律子のときもそうだった。まったく火種が見つからなかった。
私は妻のことを何も知らなかった。そのことを思い知らされた。家族を置き去りにして、私は特ダネのことばかり考えていた。その半面、抜かれる恐怖に縛られてもいた。
船津りすは続けた。「ネタ元は、京本院長に女関係はまったくないと断定しています。亡くなった奥さんをずっと愛しているみたいで、いまや去勢したに等しく、それらしき行動はいっさいないそうです」
「そうか……」
律子の事件では捜査が始まってすぐに私の女性関係が暴かれた。妻にそうした関係が見当たらないと、夫について調べるのが捜査の常道ではある。相手の女性が警察庁に勤めていたので、週刊誌に格好の話題を提供してしまった。
思い出したくない過去だが、忘れることのできない私の事件であった。
(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は16日にアップ予定)
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