新聞記者

2009.11.09

記者小説「私たちの事件」―惨殺の刻印④

 「私たちの事件」―惨殺の刻印④

 妻の律子が刺殺された事件と京本事件には、類似の特徴がある。
 まず台所にあった包丁が使われ、しかも腹部を二カ所刺されたうえ、胸部をひと突きにされている。律子も包丁が心臓まで達して、胸に突き刺さったままだった。さらに争った痕跡がなく、玄関の鍵は開いていた。
 これくらいの類似なら、よくある殺人事件だと一笑に付されるかもしれない。しかし私は京本事件の一報に接したとき、いやがうえにも京本院長に亡き妻を重ねた。
 律子は九月十五日の敬老の日に、京本院長は体育の日に殺害されているので、祝日の白昼に起きた事件という点も共通項になろう。ただし二つの事件の間には三年という歳月が挟まれている。
 私が律子を思い出していると察したのか、船津りすは話を中断して、新庄の斜め後ろにいる男に視線を向けた。
 彼女の視線をさりげなく追うと、いかつい男が私に背を向けてさきほどからノートパソコンのキーボードをたたいていた。一課の刑事に好かれそうな若手だが、原稿処理の要領は悪そうだ。
 私は腕時計を見た。午後二時四十五分だった。ここにいるのは私を含めて四人だが、朝と夕はキャップを入れて十人は顔をそろえる。夕刊づくりの終わったこの時間帯がいちばん人数は少ない。いわば休息タイムといったところだろう。
 ボックスを空けている部員は、近くにコーヒーを飲みに行くか、本屋で立ち読みをするか、あるいは記者会見場のソファを利用してうたた寝を決めこむか、おおむねこの三パターンにわけられる。
 そうであっても心理的な重圧を背負った状態なので、束の間の気分転換をはかっているにすぎない。だから休息タイムといっても、逼迫した事件を抱えていないときや、抜かれていない場合にかぎられた。
 私がこのボックスにいたときは、休んでいても急かされて走っているような有様だった。心臓はたえず早鐘を鳴らしていた。頭の中は常に散らかっていた。私はこのボックスと同じ状態だった。
 船津りすは同僚の男から目を逸らすと、ボールペンの頭で胸の谷間あたりをつんつんとつついた。コットンシャツの下でわずかに乳房が揺れた。私は目線が彼女の顔に向かうようにゆっくりと顎をあげ、視線がぶつかるのを待って聞いた。
「それで、かんじんの京本事件の捜査はどうなっているんだい」
 船津りすはこくりとうなずいてから、前髪を左手ではらった。黒い革ベルトの四角い腕時計がちらりと覗いた。男物かもしれない。腰のベルトも黒色で、わずかにヒールのついた靴も黒色だった。靴はよく磨かれている。
「一課長は、白紙に戻ってやり直しだと、早くもぼやき始めています」
「現場の状況からして怨恨の線が強いと思うけど、ポイントが絞れないんだろうな」
「事件に結びつく火種が出てこないので、患者と家族のリストのほかに取引先の薬品会社、さらには所属していた小児科学会といったように、京本院長が関係したところはすべて聴取の対象にして、聞き込みのローラ作戦をやるそうです」
 事件の発生直後に有力情報が得られない場合、聞き込み捜査を徹底するしかない。
 律子のときもそうだった。まったく火種が見つからなかった。
 私は妻のことを何も知らなかった。そのことを思い知らされた。家族を置き去りにして、私は特ダネのことばかり考えていた。その半面、抜かれる恐怖に縛られてもいた。
 船津りすは続けた。「ネタ元は、京本院長に女関係はまったくないと断定しています。亡くなった奥さんをずっと愛しているみたいで、いまや去勢したに等しく、それらしき行動はいっさいないそうです」
「そうか……」
 律子の事件では捜査が始まってすぐに私の女性関係が暴かれた。妻にそうした関係が見当たらないと、夫について調べるのが捜査の常道ではある。相手の女性が警察庁に勤めていたので、週刊誌に格好の話題を提供してしまった。
 思い出したくない過去だが、忘れることのできない私の事件であった。

(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は16日にアップ予定)

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2009.11.02

記者小説「私たちの事件」―惨殺の刻印③

 「私たちの事件」―――惨殺の刻印③

 骨董品のようなパイプ椅子に座った船津りすはブルーのコットンシャツを着て、ライトベージュのパンツを穿いている。身長は百六十センチくらいだろうか。ショートボブの黒い髪。濃い眉毛と二重瞼。好奇心に満ちあふれた瞳は表情が豊かで、輪郭のはっきりした肉厚の唇に口紅は見られない。                               
 彼女は手にしていたメモ帳を膝の上に載せた。ふくらみのある胸のポケットに名刺サイズの三局バンドレシーバーと黒色のボールペンを一本押しこんでいる。
 私が黙っていると、彼女は私の横に座っているサブキャップの新庄を一瞥した。彼は薬品会社の有価証券報告書を熱心に読んでいる。なんらかの事件捜査の対象になっている企業なのだろう。
 船津りすは私に視線を戻した。強い光があった。冷たい光ではなかった。
「竜崎さん、何も心配することはありませんから」
 そう前置きして、彼女が説明してくれたのは、研一が参考人として国分寺署に設置された捜査本部から事情聴取を受けたのは、夏休みに京本院長から小児科医院の玄関前で叱責された事実があったからだという。
 娘の亜希は受験勉強をしなければならない大切な時期だから、これ以上つきまとうな、もうここに来るなと、ひどく叱られているのを近所の人が聞いていたらしい。
 私は首をかしげた。「ガールフレンドの父親にしかられた程度で、捜査本部が息子を聴取するだろうか。少なくとも俺が刑事だったら、そんなヒマ仕事はしない」
「おヒマな仕事ではなく、それだけ有力情報がないのです」
「それにしても、やりすぎじゃないか」
「今どきの高校生は今どきの大人よりも凶悪だと、今どきのデカちゃんは思い込んでいます」
「息子は凶悪どころか、いたって従順で純情な子どもだよ」私はいささかむきになった。
「あくまで一般論ですよ、竜崎さん」船津りすは目許と唇に微笑をうかべた。「ネタ元の話では、研一くんは礼儀正しくて、はきはきしていて、一見してシロだとわかったそうです」
「そうか」私はつい弾んで、語尾をあげた。「いや、気が楽になったよ」
 シロという言葉を耳にして、安堵のあまり肩の力が抜けた。なんだ、そんなことかと拍子抜けした。
「息子さんは捜査本部のデカちゃんに好印象をもたれたようですよ」
「ありがたいね」
 船津りすはくすっと笑った。はるかに年上の私だが、はるかに年下の子ども見るような眼差しで、彼女は言った。
「社会部員の間では、竜崎さんて強面のイメージが強いんですけど、とんでもないくらい子煩悩ですね」
「とんでもないくらいの親バカということかい」
「実際、そうなんでしょ」
「船津くんには、きっちり見破られたようだな」
「子煩悩の竜崎さんて、とても可愛いですよ」
 とうとう船津りすは声に出して笑った。サブキャップの新庄が彼女をじろりと睨むのが目の端に映った。
 野郎記者は誰一人として、私を可愛いなどとは口に出すまい。このボックスでキャップをしていたころは《怒りのドラゴン》と呼ばれていた。
 社会部長から「おまえさんは怒りのドラゴンらしいな」と言われたときは、「いえ、嘆きのドラゴンです」を返した覚えがある。
 新聞協会賞を狙える特ダネがでないと嘆いていたのは事実だし、私は寝ても覚めても特ダネを追いかけていた。無邪気な日々だった。取り返しのつかない日々でもあった。
 私は船津りすを見て言った。「カミさんを亡くしてから、息子は俺の母親のもとに預けている。だから負い目があって、息子のことになると必要以上に気に病むんだ」
「そう言えば――」と船津りすは神妙な顔をのぞかせた。「竜崎さんの奥さんの事件も、まだ解決していないですね」
「先月で丸四年になったが、昨日のことのようでもある」
「うちの新聞社の、しかも警視庁キャップだった竜崎さんの奥さんが刺殺された事件ということで、抜かれてはならないと引き継ぎを受けています」
「あのころは俺も必死で犯人捜しをやったが、何ひとつわからなかった」
 私は被害者の夫であり、警視庁キャップでもあったから、刑事に先駆けて犯人を突き止めようと勢いこんだ。だが雲をつかむように難しい事件だった。要するに何もわからなかったのだ。
 船津りすは上体を私のほうにわずかに曲げた。「動機なき殺人事件と言われていますものね」
「一課にしてもお手上げのようだから――」私は正直に言った。「お宮入りになるかもしれない」
「お気の毒です」
 船津りすは捜査一課長みたいな言い方をした。
 たぶん捜査員も迷宮入りを覚悟しているのだろう。それだけに京本事件との類似点など、彼女の頭に浮かんでこないのかもしれない。
 私は二つの事件が酷似していると見立てたので、こうして警視庁ボックスまで足を運んだ。
(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は9日にアップ予定)

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2009.10.26

記者小説 「私たちの事件」―惨殺の刻印②

 「私たちの事件」―惨殺の刻印②

 船津りすからの電話を切ると、私は時間をかけて息を吸い、時間をかけて吐いた。何度か繰り返した。心臓が落ち着きを取り戻してから、息子を信じてやろうと己に言い聞かせた。
 それにしても、なぜ研一は連絡してこなかったのか。離れて暮らしているとはいえ、親子げんかをしたわけでもない。
 私は机の上の新聞の山に目を移した。わが中央新聞を三カ月分ほど積み重ねてある。そこから九日前の朝刊を抜き取った。
 京本事件は社会面の準トップに載っている。メガネをかけた実直そうな京本久院長の顔写真と京本小児科医院の写真が記事に添えられていた。
 さらに過去の中央新聞を手にすると、夕刊と翌日の朝刊にも続報が見られた。船津りすが書いた記事だろう。

 ――事件があったのは、九日前の体育の日のことで、発覚したのは翌十一日の早朝だった。国分寺市東元町の京本小児科医院一階の院長室で、京本久院長(44)が血まみれになって倒れているのをお手伝いの女性が見つけ、一一○番したところから警察は動き始める。
 捜査本部の調べでは、京本院長は刃渡り十五センチの万能包丁で腹部を二カ所刺されたうえ、左胸部にその包丁を突き刺されていた。これが致命傷になったとみられ、死因は失血死だった。
 死後経過時間は死斑、死後硬直、直腸温度の計測などから十八時間から二十一時間と推定された。このことから死亡推定時刻は十月十日の午後二時から五時とみられる。
 京本院長は布製のデッキシューズを履いたままで、着衣などに争った痕跡はなかった。おそらく犯人は、京本院長が油断した一瞬のすきをついて、包丁で襲いかかったのだろう。
 凶器の包丁からは京本院長の指紋だけが検出された。この点について捜査本部は、包丁で刺されたとき院長は朦朧としていたはずだが、それでも包丁を引き抜こうとして、そのときに指紋が付着したと推量している。
 京本小児科医院は外来中心で、土曜と日曜それに祭日に休診しているほかは午前十時から午後四時まで、二人の看護師と一人の事務員の四人体制で患者を診ていた。
 京本院長は七年前に妻の厚美を交通事故で亡くし、中学二年になる長女の亜希とお手伝いの女性の三人暮らしだった。亜希には由里という双子の妹がいて、由里は長野県伊那郡の河鹿中学に山村留学している。
 京本家は住居と医院が背中合わせになっており、鉄筋二階建て住宅のうち一階の三分の二を診療室として使い、残りの三分の一をダイニングキッチンとリビングそれにお手伝いの女性の部屋に割り充てている。二階には院長の寝室と書斎、それと二人の娘の部屋がひとつずつある。由里は中学に入学する際に山村留学したので、彼女の部屋は使われていない。
 亜希とお手伝いの女性は、医院の真裏にある京本家の玄関から出入りしていた。事件の起きた日も、夕方の六時過ぎに亜希はここから家に入っていた。父親の姿が見えないのに気づいていたが、外出しているのだろうと気にとめなかったという。京本院長はドライブが好きで、妻の厚美を亡くしてから、休日ともなるとよく遠出をしており、翌朝帰ってくることも珍しくなかった。娘たちが小学校の低学年までは親子ドライブを楽しんでいたが、中学生ともなると父親離れしたのか、どこの家庭にもみられるように、娘たちは自分たちの生活を優先させたようである。
 凶行があった体育の日は、住み込みで雇っているお手伝いの女性が水戸の実家に帰り、亜希は中学で開かれた学校体育際に出ていたので、医院には京本院長しかいなかった。犯人がこの日を選んで犯行に及んだのは疑う余地がなく、この点からも内部の事情に詳しい犯人像を浮かび上がらせている。
 これまでの調べで、血の海となった床に来客用のスリッパが放置されていた。このスリッパは上がりがまちの廊下に並べてあったもので、犯人が履いたとみられる。このことは犯人が玄関の鍵をこじ開けることなく侵入したことに通じ、それは犯人が京本院長と顔見知りだったからだと捜査本部が推断するゆえんである。
 捜査本部は室内を物色した痕跡がなかったことから、犯人は強盗目的で侵入したのではなく、京本院長になんらかの恨みを懐いていた可能性が強いとみなした。診療ミスによって障害をうけたか、あるいは死亡した家族がいなかったかを重点において捜査している。だが事件に結びつくようなトラブルは確認されていないようだ。京本院長は神経質そうな印象をもたれているものの、これといった悪評もなく、むしろ診療に熱心な町医者といった評判をとっていた――。

 三年半ぶりに訪れた古巣は相変わらず蕪雑だった。相変わらず狭くて息苦しかった。なにより数々の事件の怨霊に塗りこめられていた。
 そんな警視庁ボックスにあって、私のいたときと唯一異なるのは、船津りすが居場所を確保していることだろう。新しい空間ができていた。新しいにおいもあった。
 私はスプリングの切れたソファに腰を沈めて、目の前の船津りすを見ていた。

(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は11月2日にアップ予定)

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2009.10.19

長編記者小説「私たちの事件」―――惨殺の刻印①

   惨殺の刻印①

 季節は空から降りてくる。
 そんな思いに至ったのは、ウォーキングを始めて一年が過ぎたころだった。
 たとえば頬を切られるように冷たい二月の終わりの朝であっても、晴れた空に淡い水色が出現したならば、春の日はごく近い。残暑の厳しい夕べに見上げた空が朱色に染まっていたら、そこまで秋がやってきている。
 多彩な空の色は四季の先取りであろう。
 といっても病院のベッドに横たわるまでは、朝夕に空を眺める生活など考えられなかった。
 三年前の体育の日、手術後に目覚めて最初に目にしたのが朝の空だった。八階の病室の窓越しに見やった空は、なんとも高く、そして深く、しかも青く光っていた。
 それから退院するまでの三週間、私は空ばかり見つめていた。意外なことにまったく飽きなかった。
 体育の日にまつわる、そんな感傷の日々を思い出したのは、船津りすの電話がきっかけだった。
 感傷といってもあくまで個人的な理由で、彼女はそんなことを知る由もない。だから社会部編集委員室の私のデスクの内線電話を鳴らして、船津りすは直裁に言ったものだ。
「体育の日に発生した京本事件で、竜崎さんにお願いしたいことがあります。よろしかったらこれから社会部にあがりますので、お時間を取ってもらえませんか」
 いきなり京本事件と言われても、すぐにわかる日本人は限られるだろう。しかし私は例外中の例外である。誰にもまして、つまり社会部の記者よりも、さらには警視庁捜査一課を担当している船津りす以上に、京本事件には関心をもっている。そうであっても体育の日の発生は、私の感傷を強めたにすぎない。
 船津りすは電話の向こうで言った。「実は、息子さんが京本事件の捜査本部から事情聴取されています」
「息子の研一が京本事件で……」
 私は思わず腰を浮かしていた。
 京本事件は東京郊外の国分寺市で小児科医院を開業していた京本久院長が殺害された事件である。その殺人事件で息子が事情聴取されたと聞くと穏やかでない。半病人の身にはこたえる。まさしく青天の霹靂であった。
 私は受話器を耳に押し当てて、そのまま首を回した。聞かれたくない電話である。
 社会部の編集委員は私を入れて十四人いるが、いまは私のほかに二人しか部屋にいない。二人とも私よりはるかに文章がうまい、教育と環境問題の専門記者だ。彼らは私のことを《事件屋さん》と呼ぶ。軽蔑的なニュアンスが含まれているのは明らかだが、いまの私にはどうでもよいことだった。
 私は二人が囲碁に熱中しているのを確認してから、電話の向こうの船津りすに恐る恐る聞いた。
「息子が、何かしでかしたのだろうか」
「あくまで参考人ですから」彼女は事務的に答えた。
「うむっ」
 私は言葉を失ってしまった。重要参考人であれば限りなく被疑者に近い。
「息子さんは、亜希という京本院長の娘のボーフレンドで、京本家によく遊びに行っていたようです」
 高校生の研一にガールフレンドがいても不思議なことではない。それでもガールフレンドが京本院長の娘というのは、父親を驚かすには十分だろう。
 京本亜希は研一が卒業した国分寺市立東和台中学の二年生で、『スポーツ研究会』というサークルの後輩に当たるという。このサークルは読んで字のごとしで、スポーツライターを志望している研一が中心になってつくったと以前に聞いたことがある。
 私は内心の動揺を悟られないように、意識してゆったりと返した。
「まあ、ヒマにしているというか、制限勤務のかかっている身の上だから、おれのほうから警視庁ボックスに行かせてもらうよ」
「わざわざ足を運んでもらうには及びません。私が社会部にあがりますよ」
「いや、久しぶりに古巣を訪ねたい心境なんだ」

(登場人物を含めてすべてフィクションです。次回は26日にアップ予定)

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